過食とストレスと環境が絡み合って生まれた結果は?
福岡に移住してから体重が10キロほど落ちました。
そして、食事の量が減り、回数も一日に2食を食べれば多いくらいになりました。
え、何それ、なんで???と私自身も驚いたことなのですが、
食事の量と回数を増やす理由がなくなった事が大きな理由です。
ここ2年、コロナの影響で仕事量が増加、様々な面から、肉体的にも精神的にもハードな生活を送っていました。
そして、気がつくと何かを食べて続けている生活。
面白いことに、同じ職場に入ると皆同じように、ひたすら食べ続けながら仕事をしている。
この時、私を含め周りで何が起きていたのでしょう?
環境を変える事で気づいたのが、エネルギーのロスへのものすごい飢餓感。
これはどういうことかというと。
- 厳しい言葉が飛び交う環境で、仕事量も膨大
- 乗り切るためには大量のエネルギーを消費が必要であるというストレスに麻痺する
- 疲労を回復させるには、ここを乗り切るためには、食べてエネルギーを充足していかないと倒れるという恐怖
- 食べてエネルギー補充して防御していかないとこの戦場では生きてはいけない。
悲壮感しかなかったかもしれません。
共通項として、常に手の届く範囲に食べ物があり、常に食べ続けていたこと。
実際、体ではそこまでエネルギーを消費していたのでしょうか?
私を含め、職場の皆様の溜まった脂肪の残高を見ると答えは明白。
本当にエネルギー消費してたらその分の体重が落ちます。
エネルギーが枯渇して耐えられなくなるという恐怖。
恐怖からの防御は脂肪の鎧を蓄えるという行動となって、現実化していったということなのです。

食べたいと思った時にやってみて欲しいこと
その環境から離れて、静かに海を見ながら暮らしていると、食べすぎると気持ち悪くなる。
食べるよりもゆっくりと眠りたい、体を休めたい。
静かでゆっくり丁寧に時間をかけたものが作れるので、食べるもの自体が変わっていった。
たくさん食べるよりも、美味しいものをゆっくり食べたいへと変化していったのです。
そして、食べたいと手に取ったものを見ながら、問いかけるようになりました。
これ食べたい?
お腹に
頭に
心に
聞いていきます。
いや、お腹は空いてないよね。
頭で食べたいだけかも?
粘膜で食べたいのかな?
食べ物を手に持つと、胃がそんなに食べても消化できないからっていう合図をくれる。
消費しなきゃいけないから食べるってやめようって、最低ラインの食材だけ置いておくようになる。
なんとなく寂しかったりして食べたい場合は、自分なりの寂しいの満たし方を試してみる。
食べないのが良いのではなくて、自分に必要な分だけ食べる。
頭で食べようとすると、過食はいけないと摂食障害の方へ舵を切ってしまう場合もあるので、そこが注意点です。
生理前や生理中、体調の状況によっては食べる量や種類を増やしたり変えたり、バランスの調整をするようにしています。
原型の自分のボディが必要なものを美味しく楽しく食べることが大事なのかなって思うのです。
私の場合は、脂肪で防御というのがパターンですが、この防御が別なパターンの場合もあります。
環境を思い切って変えるというのも一つの選択肢ですが、そうではない場合どうしたらいいのでしょう?
その辺りは別な機会にお話しますね。
