絶望の中で願っていた事を現実化させてしまう前に
本当にそれは心から、魂の底から願っている事なのかを、まず見て欲しいのです。
破壊願望の奥にある本当の望みとは、何なのかを分からないから苦しい。
それを言ってはいけない、望んではいけない、知られてはいけないと箱に詰めて、鍵をして一番奥の扉に押し込めて、作り笑顔と愛想笑いと、貼り付けたままで、心の中では自分を壊し続けているということなのです。
「私を壊して欲しい」は、「私を愛して欲しい」に一瞬見えるでしょう。
「私が私を愛せないから苦しくてどうしようもなくて、お願いだから誰かこんな価値のない私を壊して欲しい」が正解です。
無価値感と罪悪感
この2つが根深いところで絡んで、魂と感情が分離している状況。
私にはそれを望む価値がないと決めているのもあなた。
こんな価値もない私を許せない私が私を罰しているのもあなた。
そこから見て気づけないかもしれないけれど、他の道を選ぶことができるのもあなた。
肉体的自傷と精神的自傷は根っこが同じ
私の家族は肉体的な自殺未遂を何度も何度も繰り返していて、どうしてこんな中で私は同じことを選ばないかと思っていた時期がありました。
でもね、ある時に気づいてしまったんです。
「お願いだから、誰かこんな私を壊して欲しい」と願って彷徨っている事に。
表現方法が違うだけで、私も同じだったという事です。
精神的な自傷は、緩やかな自殺と同じ
肉体的な自傷と何も変わらない。
むしろ、別な意味でたちが悪いのが、その長きに渡る想念は毒のように身体も心も侵し続けて、破壊される現実を創っているということなのです。
肉体的な不調を創る場合もあるし、経済的な困窮という形で生活を破壊していくこともあるし、対人関係の不調和という現実で精神を壊していくこともある。
自分で自分を愛していいのかすら知らない、わからなくなるほど感情を押さえつけて、見えない鎖をルールや常識として巻きつけて縛り付けて、そこから外れる自分を自分自身で自分を刺し続けていく。
自分を壊した後に欲しいものって、一体なんでしょうか?
あなたを受け容れ愛すると決めるのはあなた自身
あなたがあなたを愛せないから苦しくて、あなたがあなたを受け容れられずに否定という刃で刺し続けている。
そうまでして守りたいと刺し続ける奥にある、本当に守りたいものに気づいて欲しいのです。
もう大丈夫って、握った刃を放すのか、この十字架を一生背負って過去の傷の上に今現在の傷を作り続けるのか?
決めるのは、あなた自身です。
吹き出す心の傷の痛みがどんなに辛くても、それを超える未来を創れる力があることを知ってください。
破壊が出来るという事は、創造することも出来ると言うことで、そのエネルギーのベクトルを変えると決める覚悟だけが必要です。
あなたの奥にいるあなたが、本当に願っている事は壊す事でしょうか?
怖くて見にいくことが出来ないその先にあるものを見つけにいきましょう。
いつからだって選べるし、いつからだって望む世界を創ることは出来るのですから。