衝撃や苦しみを瞬時に伴い、深いところに刺さっているという事
性的虐待、性的暴力に関しては、言葉にすること自体が辛く苦しいものです。
私自身も、幼少から長期に渡る性的虐待から解放された後、元夫に性的な暴力を受けるまでの20数年間、幼少の性的虐待に関して記憶から欠落していました。
自分ではそんなに辛いことと思っていなかったはずなのですが
記憶から抹消しなければ、生きて来れなかったのでしょう。
自分を守るために無意識に行われていたこととは言え、その事に気づいた時、起きていた性的虐待の記憶よりも、記憶を欠落させていたことの方が衝撃でした。
でも、表に出てきていないだけで奥底では絶望と無価値感、罪悪感から自らを苛み続けていたという事なのです。
得体の知れない罪悪感が根深かった要因の一つでした。
性的虐待が魂の殺人と言われるのは、人としての尊厳を踏みにじられたと感じるからだと私は感じています。
人ではなく、欲望のはけ口、処理道具として扱われる、この絶望感と恐怖は本当に魂の殺人と言われるほどのダメージを奥深くに刻み付けるのです。
それは、気づく間もないほどのスピードで奥深くに突き刺さって、絶望と不信、対人恐怖、異性に対する憎しみと恐怖に、知らぬ間に囚われ続け、永遠に魂が蝕まれていく感覚が消えない。
この感覚は、なかなか理解してもらえないかも知れません。
性的暴力や性的虐待とはどんなものなのか?
よく、私よりもっとひどいことをされた人がいるからという方がおられますが、それは違います。
ただ触られただけで、もっとひどい事されたわけではないからという言葉で安易に蓋をして見ないフリをしないで欲しいのです。
受けた行為は、暴力行為、浴びせられる言葉、接触行為など色々ありますが、それによって受けたダメージの大きさや種類は同じだという事。
そして、幼少期すぎて言語化ができなかったり、意識が混乱や混濁とした中で行われていたものについて聞かれます。
あれは夢だったのかもしれない、記憶がおかしいのかもしれない、と自分で押さえ込もうとしたり、人に話してそんな風に言われてしまうこともあるかもしれません。
抑え込まないでください。
過去の真実をどうこう探究する事よりもあなたの心にあるダメージを癒す事、ここがまず一番大切なことなのです。
そして、直接的な行為だけではなく言葉で行われる性的な虐待や暴力があることも知ってください。
避妊しないのに、子供が出来たら許さないと行為を強要することや
望まない行為を受け入れなければ、関係を解消するというのも脅しの一種になります。
性的な行動や行為に対して、安易に相手を否定する言葉を投げつけることも性的な暴力の一種です。
本当はとてもデリケートなことなのに、無自覚で無知なことから意外と身近で起きていることが多いというのも特徴の一つです。
あなたの魂からの喜びを共にできる人生を得るために
そんなことすら考えたくもないという絶望と諦めの中にあるかも知れません。
確かに、起きた事象は永遠に変わりません。
でも、癒して超えていく事は出来るし、そこから自分の人生を選ぶ事は出来ます。
だからこそ、魂の殺人と言われるほどのダメージを超えて、潜在意識の奥で自分を苛み続けないで欲しいと願ってやみません。
思い出すのも辛いし、言葉にすることが出来ないかも知れない。
ゆっくりでいいから、そこを超えていきませんか?
恐怖、悲しみ、怒り、絶望、無価値感、罪悪感、あらゆる感情が混じり合って蓋をしてしまい、どこからどうしていいのかさえわからないでしょう。
持たなくてもいいこれらの感情から、解放されていきませんか?
どうぞご相談ください。